『聞こえる、カフカ?』ノート(波田野 淳紘)
そこはわたしたちの立つ場所に酷似している。東京の街だ。
たとえば街頭に立つひとりの男は、拡声器を手にして道行く人に自分の名前を連呼し、何事かを叫び訴えている。かたわらには学生だろうか、二人の若い男性スタッフが控え、チラシ配りに精を出す。この街では近日中に選挙がおこなわれる。男はきわめて真摯にみずからの思いを言葉にしていくが、耳を傾ける者はいない。
ドア一枚を隔てて、とりとめのないおしゃべりを続ける母と娘。娘はずいぶん長いこと、自分の部屋から出てこようとしないが、外部とまったく途絶したわけではなく、メールやインターネット、スカイプを駆使しながら、会ったことのない相手との交流を深めている。政治信条はリベラル。この国の政治状況を憂える話をするたび、「興味がないから」と言い放つ母に、ほんの少し苛立っている。
青年は自分自身をみじめだと思っていた。侮られ、軽んじられ、口を開けば声は震え、同級生は忍び笑いをして彼の傍らを通り過ぎた。世界なんて終わればよかった。夕暮れ、歩道橋の上で車の列を眺めていたとき、青年の耳に歌が届いた。それは一つの啓示として彼に響いた。どこから聞こえるのだろう、青年が振り返ったとき、遠くにかろうじて見える、しなびたような森の樹影が、風に揺れた。
家出した少女は迷っていた。東京は大きい。いくら歩いても街が終わらない。少女が、生まれ育った町を追われて移り住んだ仮設住宅を飛びだして東京をひとり彷徨しているのは、この晩に行われるデモに参加するためだった。貯めていた小遣いは行きの交通費にすべて消えた。いっしょに東京観光を約束してくれた見知らぬ友人は、約束の場所にあらわれなかった。
何かが起こる。誰ひとり、正確には知ることのできない何か。
テレビ放映からも、繁華街のスピーカーからも、避難の呼びかけがいっせいにアナウンスされる。該当の場所へ。広大な敷地のあるところへ。学校へ。「緊急に避難してください」「節度をもって行動してください」「車にキーを差したままにしてください」「ただちに危険が迫ることはありません」「定められた避難区域に向かってください」「ひとりにならないでください」「かたまらないでください」「落ち着いて」「炎の燃え移る速度は」「風向きは北西」「墜落の危険が」「外に出ないで」「なにか聞こえる」「夢ではありません」
about Franz Kafka(1883 ─ 1924)
カフカの死後刊行された三つの未完の長編は、そのいずれもが「わたしのあずかり知らない文法/規則によって支配された世界/他者との対峙」という、同一の主題によって展開されているように読めます。体系の異なる世界観(歴史認識/物語/倫理観)を持つ者と、いかにたたかい、また共生するか。カフカが、決して政治や社会の問題としてではなく、世界との根源的な違和感からその小説を導きだして描いたように、わたしたちはカフカの主題を借り、わたしたちの生きる時代と社会のマテリアルを用いながら、いま・ここを描く演劇を提出したいと思います。
【820製作所】
820製作所(はにわせいさくしょ)は2004年に旗揚げし、東京圏を活動の拠点として、演劇の公演を重ねてきました。「本当はそこにあるおとぎ話。」をキャッチフレーズとして、生活と人、人と世界の関係のなかに潜みこむ詩を、わたしたちの背後に作動するものがたりを、作品化することを試みています。http://820-haniwa.com/
|