自分の中のブロックや既成概念を
どうやったら光の方向にもっていけるか
闇の中で手探りするんじゃなくて、
明るい中で手探りして進んでいく

「大野一雄さんの出演されてたダニエル・シュミット監督の『書かれた顔』っていう映画を観たのが一番最初に舞踏を知ったきっかけでした」そう語る大倉摩矢子さん。それまで、全く舞踏について知らなかったそうです。その映像の鮮烈な印象が、その後、舞踏をやることになる最初のスイッチに。大倉さんの舞踏は、不思議な透明感や明るさを感じさせます。その印象はどこからくるのでしょうか。

「土方巽先生とか大野一雄先生などの若い頃は、舞踏ってとても勢いあったと思うんです。それに比べ、私がやっていることって、小ぢんまりしてるかなって。でも、それは別に悲観する必要も無いって思っているんです。どんな分野でも言えると思うんですが、その時々によって強いエネルギーを持ってる人が必要な時期っていうのもあるし、もっとこうフラットななかで自然に進んでいくっていうのが必要な時期もあるかなあって。舞踏が勢いがあった時代っていうのは、戦後の高度経済成長期があって、バブルがあってっていう、人工的な強い灯りとか目新しい建物に意識を奪われてた時期だったと思うんですね。で、そういう時代に“本当にそれだけかい”って感じで、舞踏という表現が、時代と対峙していったのかなあって。それと、その時期は、舞踏でよく言われるような“闇の豊穣さ”が、すごくリアルなものとしてあったんだと思います。ただ、私がいま生きていている現在の“闇”って、豊かさっていうよりも、ただ暗いというか冷たいというか、瑞々しさをなくしてる感じがするんです。そんななかで“闇の豊穣さ”とか言ってると、ちょっとトゥーマッチだと思うんです。“今は充分暗いぜよ”と。だから私は、その闇に対して、もっとダイレクトに光の方向に持って行きたいなあと思っているんです。そうしないと、陰と陽、光と闇のバランスが、おかしくなっちゃう感じがするんです」

大倉さんが舞踏はじめた経緯をうかがった

「そもそも小学校の時から自作で脚本書いて自分で演じるみたいになことをやっていたんです。中学生になって演劇部に入りたいっていう気持ちはあったんですけど、それよりも中高生の頃は剣道に熱中していました。体育会系でとても厳しい部活だったので、そのときに身体を鍛えたことや剣道部仕込みの体育会根性は、いまの自分を支えているって思っているんです。で、実際、演劇を始めたのは大学に入ってからです。その当時、私の通っていた学習院大学には、大学生でいながら当たり前にプロの役者さんとして活躍されていた俳優の方がけっこういたんです。岩松了さんの公演やナイロン100℃で活躍されていた先輩とか。そういった環境だったので、当時からレベルの高いものを観ていて“私も演劇をやるぞ”という気持ちになったのかなあと思います」

演劇の基礎を学ぼうと思い、大学4年生のときに
演劇スクールのENBUゼミナールへ通うことに。


「私、ENBUゼミの第一期生なんです。そこで舞踏の師匠になる大森政秀さん(舞踏グループ『天狼星堂(てんろうせいどう)』主宰)に出会うんです。それと同時に、ボイストレーニング、ストレッチのクラスがあって、私にとっては、そのボイトレの先生と大森さんとの出会いが大きいです。そのときに、丹田とか、ヨガをベースにした呼吸法というのを初めて知って、大きな衝撃でした。私、やっぱり体育会系みたいなところがあって、呼吸法とか身体のそういうことを追求したくなっちゃったんですよ。なんか修行僧のように。だから、ENBUでは、しょうもないネタとか、コントとかを考えながらも、一方で修行僧のようにストレッチとか呼吸法にのめり込んでいったって感じでした」

天狼星堂の稽古はどういったことをするのですか?

「普段は週に2回稽古があるんです。基本、手本があったりとかはないんです。たぶん大森さん自身が、その人の持ってるものが立ち上がってこなければ駄目だっていう考え方だと思うので、こうしなさい、ああしなさいとは言わないですね。だから、まず自分で何かやってみるって感じです。あ、でも、もちろんいろいろ教えてはくれるんです。歩行とか、感覚を解放するようなこととか。大森さんの稽古を受けてると、自分の内側から出てくる身体の動きを自然と追うようになっていくって感じなんです。それはちょっと不思議な感覚です」

表現を立ち上げるときにベースとなっているものについてお聞きした。

「私、自分の感覚みたいなことが一番になっちゃうですよ。例えば、自分の気持ちのなかに壁というかブロックのようなものがあったとするでしょ。そういうときに、このブロックをどうやったら動かすことができるのか、もしくは溶かすことができるかを想像するんです。そうしてブロックを見続けていくと、ある日ね、ブロックがぼんやりとしてくるんですね。そうだ、これは粒子、原子でできていると考え始めるわけですよ。そして、私もどうやら原子でできていると。だいたいこの自分の感覚を細かくしていって、このブロックも同じぐらいに細かくしていけば、このブロックも私も同じ物質だと。じゃそれを本気でやってみようって。そういうことを真剣にやってると、面白くなってくるんです。“それ無理”でしょって思うことが“無理じゃない”って感じられるんです。要するに、“これはできないでしょ”とか“これはこういうものでしょ”ということを、どれだけ発想転換できるかなっていうことが面白いなあと思っているんです。こいつが固いもんだ、これは甘いもんで、これは汚いもん、そういう今まで持ってた常識とか既成概念みたいなのを、どんだけ取っ払えるのかみたいな。自分の中のブロックや既成概念をどうやったら光の方向にもっていけるか。闇の中で手探りするんじゃなくて、明るい中で手探りして進んで行く、みたいなことはできないのかということを考えています。そして、既成概念を外していくと、感覚が研ぎ澄まされていくんですよね。で、そういう風になってくると、もっといろんなことが、生きやすくなっていくというか、面白くなってくるというか、そういうことがとても大事だと思っています」

今後取り組んでいきたいことについてうかがった。

「場をね、ちゃんと自分たちで生み出していくみたいなことをしていきたい。私が舞踏をやっていられるのも、大森さんと秦さんがテルプシコール(中野にあるスタジオ)という場をつくって、そういう環境でやらせてもらっているので、そういう場ってとても大事だなあと思うんです。やっぱり表現を続けて行くっていうときに、人との関係とか、それを実現できる空間とか、まあお金だったり、そういう具体的なものをバランス良く大切にしていかないとなって。師匠である大森さんとか秦さんとかがやってきた30年間と同じようには出来ないけれども、でも私たちなりのやり方で自覚を持ってやっていかないと、って思っています」

 

【OHKURA Mayako】
1977年岡山市生まれ。舞踏家大森政秀氏(天狼星堂主宰)に出逢い、1999年より師事。現在も天狼星堂のメンバーとして舞踏公演に出演している。2004年 第35回舞踊批評家協会賞新人賞を受賞。近年では他ジャンルの表現者とのライブパフォーマンスでも活躍している。http://mayakoookura.com/








インタビューを終えて→